『わたしに還る、ゼロの扉』

― 第3回 ―

ふとした瞬間に、

あ、今、わたし、ジャッジしてるなー

そう気づくことがある。

先日、ちいさな贈り物をした。

心から喜んでくれると思っていた。

でも、次に会ったとき、そのことに触れられなかった。

「気に入らなかったのかな」

「失礼だったのかな」

「忘れられていたのかな」……

そんなふうに、じんわり不安がやってきた。

でもね、よく思い出してみたら、

ただ、話が弾んでいただけだったんだ。

会話の花が咲いて、

笑い声がこぼれて、

贈り物の話に届かなかっただけのこと。

相手は、わたしを大切に思っていないわけじゃなかった。

ただ、咲いている“今の話”があっただけ。

それを、わたしの心が「お礼がない=大切にされてない」と

勝手にラベルを貼っていたんだなぁと思った。

無意識にジャッジをすると、

自分の中に勝手に“さみしさ”がつくられる。

でも、ゼロの目で見れば、そこにはただ、

話が咲いていたという“現象”だけがある。

「気に入らなかったのかも」

「私って、好かれてないのかも」

そんな思いが浮かんだとき、

ちょっとだけ深呼吸をして、こうつぶやいてみる。

「ただ、今あるものだけを見よう」

それだけで、心の曇りが、ふっと晴れることがある。

【今日の問いかけ】

あなたは最近、どんな“ラベル”を誰かに貼っていましたか?

その出来事を、ゼロの目で見たら…何が見えてきますか?

【結びの一言】

言葉にならなかった“感謝”は、

ちゃんと、あの場の笑顔にあらわれていたのかもしれません。